子どもの探究心・好奇心を育てる 〜門の横の野菜から〜

  • 2020.06.20 Saturday
  • 12:01

門の横で育てている野菜をよーく見てみてくださいね。

 

お気づきでしたか??

お花が咲き始めました!


花の下をよーく見てみると…。


お子さまが何の野菜か想像できるかもしれません!
お子さまの探求心を育てるために、お家の方が野菜を教えてしまうのは控えてくださいね(笑)

 

お花の色、茎の様子、葉の大きさ、手触り。。。いろんな情報を、五感を使って親子で楽しみながら感じ取ってください。
ポイントは、「ワクワク感」そして「共感」です。

保護者の方がワクワクすることはとても重要です。役者でもいいから、ワクワクを演じてくださいね(笑)

 

ワクワク感を共感しあえたら、子どもの好奇心は間違いなく育ちます。
そしてその好奇心と探求心をしっかりと褒めてあげてください。自己肯定感が育ちます。
子どもは褒められることで、自分を誇らしく思い、褒められたことにエネルギーを注ぎ始めます。
褒められることが増えると、良い行いがたくさん増えます。

この一連の流れがまさに子どもの成長の好循環です。子育ての好循環の軌道ののせ方を、親として身につけてしまいましょう。子育てがとても楽になり、ストレスを感じにくくなりますよ。

 

しかし、無理に関心をもたせようと働きかけるのはNG!

親の想いの押しつけは子育ての悪循環です。
子どもの気がのらなくても、大人だけでもこの野菜を見て毎日ワクワクしていることを伝えてあげてください。
繰り返していくうちに、好奇心・探求心の芽が育つかもしれません。


この野菜がどのように育つのか、子どもの心に残っているだけで、小学校で学習する理科の授業での食いつきが違ってきます。
保育園のあの野菜はなぜそのように成長していったのか、(具体的には「花の後なぜ実ができるのか」等…)その理屈を学習を通して学べるからです。体験がないと、理屈ばかりの学習となり意欲が持続しません。
幼いころに積み重ねた体験から、ワクワクしながら楽しく学べる子は幸せですよね。

 

もう一度お伝えしますね。ポイントは「ワクワク感」「共感」です。

たった一つの野菜ですが、皆様の子育てのお役に立てれば幸いです。

本が好きな子を育てる

  • 2020.05.06 Wednesday
  • 18:38

子どもの読書離れは年々深刻になっている。僕自身の小学校時代の読書量は平均程度だったが、その頃は多くの子が本は大好きだった。僕がよく読んでいたものは物語が中心だったが、伝記や推理小説、昆虫記など友達同士の流行りなどもありつつ、幅広く毎日のように読んでいたのを覚えている。ゲームを持っていなく、テレビの時間も30分〜1時間と決められた家庭がほとんどの時代だったので、本は楽しみの一つだったのだ。


しかし、初めて教師になった時、自分たちが小学校の頃読んでいた本と比較して、明らかに子どもたちの手に取る本のレベルが幼く、そして読みが持続しない(すぐに飽きてしまう)現象に驚いた。図書の時間に読みたい本が見つからず、図書室内を長時間ウロウロしている子ども達が溢れていたことも大変驚きだった。


それは、子どもたちを取り巻く社会の変化を考えればうなずける。ゲーム世代の子どもたちにとって、ゲームという楽しみが何もしなくても簡単に提供され、受け身のまま強い刺激(快楽)を与えられることに慣れてしまっている子どもたちだ。また、子ども向けの番組が増え、テレビを見る時間が圧倒的に増えた世代の子どもたちだ。何の努力をせずとも、座って観ているだけで勝手に楽しみが提供されることが当たり前として育っている子が多い。そのような子にとっては、わざわざ活字を読み頭の中で変換して想像するという行いそのものが、とても面倒な作業に感じられるのだろう。

そしてその世代が、今は親になっている。


しかし、保育園の子どもたちを見ていると、子どもは本来、本が大好きだということがわかる。幼い頃から本に興味を示さない子を、僕は見たことがない。保育士たちは毎日たくさんの子から読み聞かせをせがまれ、本当に大変なのだ(笑)


0〜2歳くらいまでの頃の特徴は、本に興味を示して読んで欲しそうに持っては来るが、読んであげると、そのまま本の内容に興味を示す時もあれば、ほとんど聴くこともせず、直ぐに何処かへ行ってしまうこともある。後者については多くの子によく見られることなので、『うちの子は本に興味がないのではないか』なんて焦ることはない。気にしないで大丈夫だ。子どもによって差はあるが、言葉の理解や想像する力が発達するに連れ、じっくりと読み聞かせに集中できることが増えてくる。大切なのは、本に興味がいっぱいの幼い頃に、十分に本の楽しみを脳に焼きつけておくこと。そして本に対する楽しみや喜びが失われないよう、働きかけを続けていくことだ。


何もしなくても子どもが本好きに育つケースもあるかもしれないが、本が好きな子どもに育てたければ、その努力をまず親がしているケースがほとんどだ。学級担任をしていると、教師も顔負けなくらい、驚くほど本が好きな子がクラスに1人はいる。そこまでいかなくても、読書を十分に楽しめているレベルの子が片手の指の数くらいはいて、僕もこのレベルなら親の働きかけ次第で多くの子どもが達成できると感じている。


まず、読書を十分に楽しめている子の家庭の姿勢を見てみると、やはり親が丁寧に読書環境を整えていることが多い。定期的に図書館に連れて行ったり、読み聞かせをしていたり、常に本が身近に読める環境を作っている。僕の場合、子どもに対して具体的に行ったことは

/渊餞曚2週間に1度は連れていき、2週間分の読みたい本を子どもに選ばせる。

∨萋寝る前に、必ず絵本または紙芝居を読み聞かせする。

この2つは小学校に入学するまでは夫婦で力を合わせてやった。大変だったが、子どもが読書に時間を費やすようになり、本から勝手に学んでいくようになれば、子どもが本を読まずにテレビやマンガ、ゲームにばかり走ることへの日々のストレスや不満と比べたら、遥かに楽なことだと思う。小学校に入り、「子どもが本を読まない」と悩む親がとても多いことを踏まえ、親として今できることはやるべきだと思う。


そして自分が心がけていた大切なこととして、

‘表颪魘要しない。子どもが読みたくなるように働きかける。

読み聞かせをした後、ちょっとだけ話の内容について話題にし、子どもから出た言葉に強い共感を示す。(高いレベルを期待してはいけない。強要になり、読書嫌いになる)

『本を読むと頭が良くなるよ・立派な大人になれるよ』など、日々の中で読書することの価値づけをしっかりとやる。(読書している時や、読み聞かせをしっかり聞いている姿勢を褒めたり、読んだ本について発した言葉をすかさず拾って褒めたり共感したり…)そして、子ども自身が読書を重ねたことによって、自分が成長したことを実感できるように具体的に褒めてあげると、読書への価値観がしっかりと身についてくるはずだ。例、「本をよく読んでいるから、最近難しい言葉がたくさんわかるようになったね!」「物知りになったね!」「人の気持ちがよくわかるね!」「すごいね!勉強がよくできるようになるんじゃないかな!!」などなど。


大変かもしれないが、僕の経験上、これらを継続してやれば子どもは必ず本が好きになるはずだ。あとはテレビやゲームという受け身で強い刺激から、なるべく子どもを遠ざけ、それに感覚が慣れないようにする努力も必要なのだろう。


以上が、僕が教師時代に学んだ読書好きな子の家庭の共通点と、僕自身の経験による、『本が好きな子どもを育てる』ための考察である。

スマホではなく、絵本を渡そう!

  • 2020.05.04 Monday
  • 22:41

子どもの面倒が大変だからと、スマホを幼い子どもに渡したまま放置しまう親が増えているらしい。


しかし、このようなスタンスでこれからも子育てをしていくことに、僕は警鐘を鳴らしたい。せめてスマホを渡すということに対し、親としてためらいはなかったのか、今後与え続けることでどんな影響があるかをよく考えた上で渡したのかを問うてみたい。


もし、安易にスマホを渡し、親として子どもと本来取るべきコミュニケーションを放棄していたならば、スマホが与える子どもの発達への影響を考えなかったならば、それは大きな問題だ。そのようなスタンスは、必ず子育ての様々な面に現れているはずで、子どもの育ちに大きな影響を与えてしまうだろう。


とはいえ、ここで僕はそのような方々を責めるつもりはない。そうではなく、支えたい、力になりたいだけなので、自身が否定されたと拒絶するのではなく、最後まで読んでいただき、一つの意見として受け止めていただくことができたら幸いである。


もし安易にスマホを与えていたならば、自分は子育てにしっかり向き合えているのか、スマホのこと以外にも客観的に自分自身の関わり方について見つめ、確かめながら子育てをしてほしい。


また、スマホだけでなく、テレビを長時間観せ続けることも同じだ。スマホやテレビ、テレビゲームによる一方的な受け身の強い刺激により、子どもにどのような影響があるかは前回のブログにふれているので、まだ読んでない方はぜひ目を通していただきたい。


そして何よりも大切なのは、親の愛情にたくさん触れること。共働き世帯でも、親子のコミュニケーションにはできるだけ時間をかけてほしい。この時に子どもは『人として』の感情の土台をたくさん培うはずだ。大変だが、頑張って向き合ってほしい。その苦労は、必ず将来報われて返ってくる。


生まれてから幼児期までの間に、たっぷりと丁寧に子どもと関わろうとする親ほど、子どもの心にも温もりや優しさ、好奇心などの豊かな感性が育っている。長年教師をしながら家庭を見てきた僕には、科学的には証明できないが、そこには相関関係が必ずあるというのが感覚としてある。もちろん過干渉や溺愛しすぎることでの弊害も見てはいるが。。。


とはいえ、こんなことを言う僕自身も、そこまでできる親ではなかった。もちろん、極力子どもと関わる時間を作る努力もしたが、休みの日でも家で仕事をしなければならない時が多かったし、少しは身体を休めたい時もあった。子どもと常に向き合い続けることなんて、大変過ぎる。ただ、僕はスマホや長時間のテレビ漬けだけはしてはいけないと思った。


そこで僕がやったことは絵本を与えることだった。良い本に出会い、たくさんふれることで、想像力が働き、脳を大いに刺激する。そして子どもの感性や価値観を高めてくれる。字が読めない頃はさすがに付き添わねばならないが、横着な僕はとにかく早く字を教えて、自分で本が読めるように育てた。スマホやテレビ漬けにするよりはよっぽどマシだと思ったから。ここにおいて、向き合うことより楽をとった僕は責められるべきところであり、言い訳はできない。また、早期に字を教えることは賛否両論があり、総じてちょっとだけ楽をできたことで僕としては良かったと思っているが、おすすめできるかはわからない。


説得力のない文章になってしまったかもしれないが、まずはスマホや長時間のテレビ漬けは避けてほしい。そして、できれば本にたくさんふれさせてほしい。そう思うのである。


次回は本をたくさん読める子に育てている親はどんな親が多かったかをブログに書こうと思う。


創造(想像)性のある遊びを その2

  • 2020.05.02 Saturday
  • 17:24

僕は、子どもの遊びを大きく2つに分ける。それは「遊びに主体性があるか、ないか」の2つである。

 

そして促していくのはもちろん主体性がある遊びだ。基本的に保育園の子どもたちを見ていると、子どもたちは園にあるものは何でも興味を示す。僕が園庭で掃除をしていると、ほうきを子ども同士で奪い合い、掃除の真似を遊びにしてしまう。赤ちゃんにティッシュの箱を与えると、何度も何度も飛び出してくるティッシュペーパーがとても面白く、キャッキャッと興奮してティッシュを出してしまう。大人が思うおもちゃや遊び道具といった枠組みはなく、子どもは楽しいと思うことは何でも主体的になってやる。そしてそのことは子どもにとっては遊びであり、学びである。そこにはよりワクワクする・楽しくするための創意工夫があり、それは、自分で遊びを創り出しているということである。

先日、寺子屋(午睡時に五歳児のみが行う活動)で鉄棒をした。そこではごく当たり前に前回りなどをしたのだが、しばらくするとある子が縄跳びを鉄棒に巻き付けて引っ張り、くるくると縄跳びの持ち手が回ってピョーンと勢いよく外れる…ただそれだけのことを何度も何度も繰り返して楽しそうに遊び始めた。大人からすればなんてことのない遊びだが、子どもにとってはどう巻き付け、どう引っ張れば勢いよく飛び出すのかを試行錯誤し、遊びの中で学んでいたのである。そんな子どもの無邪気さがとても微笑ましかった。保育園の子どもたちを見ていると、生活そのものが、主体的な遊びにあふれている。幼く、ゲームなどに染められていない保育園の子どもたちは、何でも遊びにしてしまう遊びの天才。遊びの原点を我々に教えてくれているのだ。

 

その反対に、テレビのような娯楽やゲームのような遊びは主体性に欠け、純粋で、無垢で真っ白な子どもの心は一方的に快楽的な強い刺激の受け身となる。あまりに刺激が強いためにその遊び(快楽)は依存性が強く、何度も何度もやりたい、何よりもゲームがしたい…そのような脳の反応が生まれてしまう。それがゲーム脳。使い方によっては、僕はゲームは麻薬のような怖さを兼ね備えていると思っている。麻薬に侵された人間はあらゆることに意欲を示さなくなるが、ゲームばかりしている子どもも同じだ。教師としてたくさんの子どもを見てきた僕にはとてもよくわかる。あまりにも強い快楽的な刺激を長時間受け続けると、日々の生活の中にある刺激が麻痺してしまう。好奇心が薄れ、意欲が減退し、様々なことに対する喜びも少ない。必然的に人として大切な様々な価値観を形成する機会も失ってしまう。そのような日々の積み重ねによって、成長に歴然とした差が出てくることは言うまでもない。。。そして、そのような純粋で無垢で真っ白な心の子どもにゲームを最初に与えるのが、我々大人だということも忘れてはならない。

 

学校生活でいえば、主体的に活動する喜びを知っている子は、授業への食いつきが良い子が多い。様々な話題・課題に興味を示し、主体的に取り組むことができる。仕事に対しても前向きに進んで行う。そして、主体的に取り組む子は、困難に向き合う粘り強さも日々の中で養われている。一方、残念なことに、ゲームばかりしている子は授業の食いつきが悪く、仕事もやらされている感があることが多い。すぐに飽きやすく、集中力にかけ、話題といえばゲームばかり、自己肯定感がとても低いのが特徴だ。

 

もし、このブログを読んで理解できるところが少しでもあるのなら、できる限り子どもをゲームから遠ざける努力をしてほしい。コロナウイルスとの戦いに真っ最中の世の中であるが、こんな自粛の今こそ、親子で様々な主体性ある創造的(想像的)な遊びを試して遊びの幅を広げてほしい。子どもにとって楽しいことは遊び。お菓子作りや料理をしたり、裁縫でおしゃれな小袋を作ったり、工作から日曜大工まで、やれることはたくさんあると思う。トランプやすごろくなどもゲームではあるが、そこにはコミュニケーションや工夫の余地が多々あること、また、刺激が強くないことを考慮すると、僕は否定的には捉えない。なるべく遠ざけたいのはテレビゲームやスマホゲーム、刺激の強いテレビ番組やYouTube、受け身のまま簡単に喜び楽しみが手に入ってしまうもの。自粛が終わって家族で出かけるときは、ディズニーランドも時にはいいが、それに熱狂的になるよりは、海や川、山へ出かけ、豊かな自然との触れ合いに喜びを感じる、そんな価値観の子どもに育ててほしいと思う。

 

『自分で喜びを創り出せる人間は、自分で豊かな人生を創り出すことができる』

僕はそう信じている。


 

 

 

創造(想像)性のある遊びを その1

  • 2020.04.25 Saturday
  • 23:50

テレビゲームが世の中に流行り始めたのは僕が小学校中学年の頃。約35年前。


僕は毎日学校から帰るとランドセルを置いて外へ飛び出し、野球やサッカー、ドッジボール、雑木林で昆虫探しをしたり、チャンバラ、どろけい、めんこやコマ、時にはガンダムごっこも(笑)…そんなことをしながら友達と外で遊ぶことが当たり前だったし、とにかく楽しかったのを覚えている。


ところが忘れもしないある日のこと、隣の友達の家から毎日のようにワイワイ声がしてきて、何かと思いお邪魔させてもらったら、テレビゲーム(ファミコン)をしていたのだ。初めてその光景を見たとき、とんでもない驚きだったことを今でもはっきりと覚えている。


あれ以来、あっという間に世の中の子どもたちの遊び方が一変していったのを、僕は目の当たりにした世代だ。そういう意味で、テレビゲームの経験はあるが、僕の世代は最後の外遊び世代だったのだろうと思う。


下校後、友達と会ってから夕方まではたっぷりと時間があるので、同じ遊びをずっとすることもあるが大抵は途中で飽きてしまう。するとそこからが

「なにしよっか〜、楽しいことないかな〜」の時間。

子どもなりに想像力を働かせ、いろいろ遊びを創り出す。本当に色んなことをやった。新聞紙で剣を作り、忍者ごっこやチャンバラをした。林の中にある天然の栗の木。とても高いところになっている実を試行錯誤して落とした時の快感は今でも覚えている。夕方に木に蜜をぬり、早朝にカブトやクワガタを採りに行くのだが、採れるのことは滅多にない。やっと採って大切に飼っていたクワガタを、友達のクワガタと戦わせたこともあり、大興奮だった。めんこの勝負をし、大切なめんこを取られた悔しさも忘れられない思い出だ。悪知恵も働かせた。いろいろな所からビンを集めて酒屋へもって行き、換金したお金で駄菓子を買ったり、落ち葉を集めて焼き芋をしたり…。女の子はあやとりやゴム跳びが上手にできて、男の子の僕は全く楽しそうに見えなかったが、器用ですごいなぁと感心していた。


まあとにかく、毎日頭も身体も、そして五感をフルに使って遊んでいたのだ。


そして十数年後、僕は教師になり、たくさんの子どもたちを見てきた。とても残念なことに、教師になったばかりの20年前の子どもたちでさえ、すでに遊びを知らない子が多かった。そして年々、その傾向は顕著になっていった。自分たちで遊びを創り出せない。遊びを知らないから、遊びの内容が単調。工夫を重ねて遊びが発展していくことはない。だから、大人が関わらないと遊べない。大人がルールを設定してあげないと、集団では特に遊べないことが多かった。


そりゃそうだ。今の世の中、楽しい刺激が楽して手に入る。テレビをつければ何をしなくても笑わせてくれる。ドキドキ、ワクワクさせてくれる。テレビゲームのスイッチを入れればワクワクハラハラドキドキ、クリアすることで大変な快感・刺激を脳が味わえる。おまけに外での遊び場は昔に比べかなり減ってしまった。これらが当たり前の世の中だから、「外に出ても何して遊べばいいかわからない」のは当然だし、友達と遊びを工夫して創り出すことをわざわざするのは面倒なだけ。そもそもそうした遊びの必要性を感じないのだ。


そのような今の世の中で、教師として、親として、

「子どもの遊びの方向性をどのように向けていけば良いのだろう。」

そう考えてきた僕が、今現在大切にしている事を次回述べたいと思う。


今こそ、日本人の団結力を!

  • 2020.04.05 Sunday
  • 09:59

新型コロナウイルスにより、世界に激震が走っている。


オーバーシュートを起こした国々の中には致死率が10%を越える国も出てきており、我が国日本もオーバーシュートはもうすぐそこまで…といった状況だ。


この病気との戦いに勝てるのか。


10年くらい前からか…、テレビでは日本人の素晴らしさなどを探しては取り上げる番組が増えたように思っていた。僕としては逆にそれは日本人が日本人としての安心材料を探したい、誇りを持ちたいことの裏返しと捉えていた。日本人の自己肯定感の低下を裏付ける現象なのかと。


そして、僕は声を大にして言いたい。今、この時こそ、一人ひとりが日本人のもつ勤勉で真面目な国民性を大切にし、互いを大切にするために自らを律し、この病との戦いに負けることなく、切り抜けるために意識を共にして頑張ろうと。自分だけならという考えを捨て、皆でぐっと我慢をし、強い気持ちをもって立ち向かおうと。


今の惨状は2009年の新型インフルエンザの時とは比べ物にならないものの、当時の日本の致死率の低さは世界一だった。この病との戦いに、我が日本は知恵と強い気持ちをもって立ち向かい、皆で切り抜けることができたならば、再び日本人としての大きな誇りがもてるのではないか、オリンピックが開催される頃には、たくましく成長した日本を示すことができ、世界からも称賛される国となっているのではないか、そう思うのである。


今こそ国民が一つになり、不安から社会を混乱に陥れるような行動を慎み、勇気をもって冷静に判断し立ち向かっていこうと、そのような気持ちを国民全体で共有したい。決して簡単にはいかないが、一筋の希望の光を信じて進むことが、今は何より大切なことなのだ。


まずは混乱から医療崩壊を防ぐことが先決だ。ぜひ、政治家には瀬戸際に立っている日本社会に対し、しっかりとリーダーシップを発揮して国民を安心させ、日本人に備わる情熱に働きかけていってもらいたいし、我々もその働きかけにしっかりと応えていく義務がある、そのように僕は思う。


力を合わせ、この難局をのり越えよう。

がんばろう、日本!



昭和の父ちゃん

  • 2020.03.21 Saturday
  • 21:21

先日、次女の小学校卒業式があった。

 

当然、新型コロナウイルス対策で式の縮小化が図られ、参加した卒業生も全員マスク着用での参加。

保護者席と向かい合うように座っていたのだが、表情がわからない。

何だか異様な雰囲気を感じたが、それも仕方ない。。。

 

式が流れていく中で、ふと頭に浮かんだことがある。

それは娘が時々言っていた「私だけなんだよね。」という言葉。

どうも子どもは、いくつかのことで級友から珍しがられていたらしい。

 

その一つが「雑巾」の持ち物。

僕が子どものころは、雑巾は家庭で古くなったタオルを縫い付け、毎学期初めに持参していた。

ところが、僕が教師になった頃は、新品の真っ白な雑巾をもってくる児童がちらほら出始めた。

「真っ白な雑巾が店で売られている!?」衝撃を受けたのを覚えている。

そして教師十年目くらいの頃はその割合がかなり増え、「ボロくなったタオルを縫い付ける」という昔の当たり前が当たり前でなくなっていた。

「何かおかしい」と感じた僕は、高学年の家庭科でなみ縫いを学習した後は、毎回新学期の「宿題」として古タオルでの雑巾作り。

なんてことない。ものの15分もあればできること。買うなんておかしい。もったいないではないか!

今や娘の通う小学校では買ってくるのが当たり前らしく、家の古いタオルを自分で縫って持っていく娘は、級友から珍しがられているという。妻はあまりこだわりがなさそうで、これは僕の方針だ。

 

二つ目は「家にゲームがない」ということ。

娘があるとき「家にゲームがない」というと、級友から一斉に「えーっ!!」と驚かれたらしい。

さらには、学校で答えたアンケートにゲームに関する問いがあり、その選択肢に「ゲームをもっていない」という選択肢がなくて困ったという。。。ゲームを与えない理由はいずれブログで書こうと思う。

 

しかし、この二つの方針に娘から苦情や訴えがあったことはほとんど記憶にない。

このほかにも「うちだけ・・・」というのがいくつかあったような。。。

 

僕は昭和の父ちゃん。頑固なオヤジ。

昔から普遍的で大切なことは、これから先も大切なはずだ。寺子屋で、丁寧に伝えていきたいと思う。

寺子屋での雑巾縫い、やってみようかな。。。


  • 2019.12.31 Tuesday
  • 23:50

45年生きてきた人生。

決して自分はついている方の人間ではなく、むしろついてない方の人間だと思っていた。


しかし、この1年だけは何かに取りつかれたかのように、驚くほどの追い風が吹き続けた。


それは、出会い。

いちばん星保育園で働きたいと思ってくれた心の温かい一人ひとりの職員。

いちばん星保育園へ入園することを選んでくださった保護者の方々。

そして、たくさんの幸せを運んできてくれたかわいいかわいい子どもたち。


人生の全ての運を使ってしまったのではないかと思うほど、すばらしい出会いだった。


2020年がみなさんにとってますますハッピーな1年になるよう、この追い風を味方にして全力で駆け抜けていきたい。


おやつのこだわり

  • 2019.12.19 Thursday
  • 05:17

いちばん星保育園のこだわりの一つに、食育がある。

 

大人が与える食事に完全依存している乳幼児期は、身体が形成される過程でとても大切な時期。だからこそこだわった食事を与えるべきと考え、イベント的な晴れの日以外は一般的に言われる「おやつ」のようなものは提供しない。

 

出てくるものは、ほぼ毎日「おにぎり」だ。おにぎりは大抵「じゃこ」「ひじき」「かつお節」など何か混ざっていることが多いが、週に一度くらい、塩むすびが出る。塩はこだわりの塩、米は県産の無農薬米。この塩むすびがご飯そのものの美味しさを引き立てるのだが、塩むすびの日は必ず「煮干し」が添えられる。この煮干しの塩味加減が、やや薄味の塩むすびととても合う。子どもたちはそれもよく知っている。

 

だから、いちばん星保育園の子どもたちは、みんな煮干しが大好き。頭からポリポリポリ。おかわりもみんな欲しがるほどだ。

 

昨日、近所で無農薬野菜を育てている方が、とれたての大根を持ってきてくれた。すると…

おやつのおにぎりに、大根の葉が添えられているではないか!!給食さんがとっさに考えてしてくれたようだ。昔ながらのほんのり甘い醤油味。調味料は醤油とみりん。いちばん星保育園の給食では、砂糖はほとんど使わない。管理栄養士の知識、技術が高いので、食材から甘みを引き出す方法も知っている。

 

そして子どもたちは…食べる食べる!おかわりする子も!!

 

子どもたちは、おやつはおにぎりが当たり前。それを自然に食べている。食事を大人に完全依存している時期だからこそ、あま〜い誘惑に負けず、本当に大切なものをしっかりと食べさせたい。

 

しかし…ふと微笑んでしまった。おやつに大根の葉を出す保育園。。。今どきあるのかな(笑)

 

でも、そんな保育園のスタッフや子どもたちが、僕は大好きである。

 

手作り誕生日ケーキ

  • 2019.12.16 Monday
  • 17:41

僕は家族の誕生日の時は、なるべく子どもと一緒に手作りケーキを作ることにしている。

 

理由としては

(譴誕生日はいつも手作りで作ってくれていて、その味が今でも忘れられない。→買ってきたケーキは何も記憶が残っていない。

何かを創り出す喜びにワクワクしている自分の背中を子どもに見せたい。

手作りは想いが人に届く。

こんな感じ。

 

これまで、何度も失敗した。

でもそれはそれでいい思い出(笑)

 

お金を払えば簡単においしいケーキが食べられるけど、手間をかけて作った時の喜びはお金には代えられない。

こんな成功体験が、現代の子どもたちにはとても少ないように思える。

 

得意なケーキはフルーツタルト。

これは時間がとてもかかるので。。。
昨日は、ザッハトルテに挑戦!!

 

これまでチョコレートケーキは失敗ばかりだったが、昨日は大成功!

作った子どもも得意気な満面の笑み。

将来は自分の子どものために作ってくれるかな。

久しぶりに、父親としてのんびりできた一日でした!

 

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